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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2054号 判決

控訴人(原告) 都倉長市

被控訴人(被告) 通商産業大臣

原審 東京地方昭和三三年(行)第一〇一号(行裁集一〇巻九号一七四八頁参照)

主文

原判決を取り消す。

本件の訴えを却下する。

訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。

事実

第一双方の申立

控訴人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和三三年一月二九日にした特許第一五九、〇五二号「劣質原油の蒸溜方法」の特許権存続期間延長願不許可の決定は、これを取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、

被控訴人は、第一次的に主文同旨の判決を、第二次的に控訴棄却の判決を求めた。

第二当事者双方の事実上および法律上の主張ならびに証拠関係は、つぎに記載するもののほか、原判決の事実摘示とおなじであるから、それを引用する。

一、控訴人が当審で追加した主張

(一)、訴えの利益について

旧特許法(大正一〇年法律第九六号)第四三条第五項所定の特許権の存続期間延長について、その出願があつた場合、被控訴人は当該発明が旧特許法施行令(大正一〇年勅令第四六〇号)第一条所定の要件を具備するか否かを審査し、さらに国の産業行政、特許行政上の見地から自由裁量権に基き延長の許否および延長すべき期間を合理的に判断してその許否を決すべきものであり、その許否の処分は、特許補償等審査会の審査の手続を経、その報告書に基いて通商産業大臣が決するものであつて、通商産業大臣以外には許否決定の権限はないのである。

本件について、特許権の存続期間満了日である昭和三三年一月三〇からすでに一〇年以上を経過したもので、本訴において原処分が取り消されても、被控訴人は本件期間延長願につきあらためて延長許否の処分をなすことはもはやできないが、許可すべきであつたか否か、許可すべきであつたとすれば延長期間は何年とすべきであつたかという判断は可能であり、かかる判断裁定は、前記の期間延長許否の処分の所轄庁たる被控訴人のみが前記手続を経たうえ前記の自由裁量権の行使によつてなしうるものであつて、それは、控訴人がなすべき国家賠償請求の基礎となすものである。

詳言すれば控訴人は、本任期間延長願につき当然なさるべき相当期間の延長許可処分がなされていたならば、その許可された期間に応じて、前記好続満了日の後に、本件特許発明を実施している石油精製業者に対し特許権実施料の支払を、またこれを無断で実施して収益をあげている業者に対し不当利得返還の請求をなしえた筈であるところ、被控訴人の違法な本件不許可処分のためそれができなかつた。そしてたとえ右不許可処分が違法であるとしても、直ちに控訴人の権利が確定し、右の損害につき国家賠償の請求ができるものではなく、あらためて被控訴人により前記手続を経た上で存続期間を何年延長すべきであつたという旨の裁定を受けなければ、控訴人の有すべき特許権の内容が具体的に確定しないから、民法第七〇九条にいわゆる侵害の客体たる「権利」として認めることができないのであつて、被控訴人の右のような裁定を受けることが、控訴人がなすべき国家賠償請求の基礎として必要になるのである。

控訴人は、被控訴人のこのような裁定を受けるための前提として、本訴において原処分の取消しを求める法律上の利益を有するのである。

(二)、本件不許可処分には手続上の瑕疵があり、この点だけでも取り消されるべきである。

すなわち、特許権存続期間延長の出願については、通商産業大臣は特許補償等審査会をしてこれを審査せしめなければならず、同審査会は右の審査を終つたときは通商産業大臣に報告書を提出すべく、右報告があつたときはじめて通商産業大臣は出願の許否を決するものとされている(旧特許法施行令第三条、第五条第一項)。したがつて、同審査会の適法な審査および議決があることは、通商産業大臣が特許権存続期間延長出願について許否を決するための前提要件をなすものであり、この前提要件を欠くときは、通商産業大臣において許否の決定をしても、それは不成立ないしは無効のものであり、少なくとも違法の処分として取り消されるべきものである。

ところが、本件不許可処分については、適法有効な審査会の議決がなかつた。すなわち、特許補償等審査会令(昭和二六年六月一日政令第一八六号)第七条によれば、審査会は委員およば議事に関係のある臨時委員の過半数が出席しなければ会議を開き議決をすることができず、審査会の議事は出席した委員および議事に関係のある臨時委員の過半数をもつて決し、可否同数のときは会長の決するところによる旨規定されている。そして、本件不許可処分の場合、右審査会の委員は二〇名であつたが、そのうちの七名が出席しただけで会議を開き、その七名で議決をしているのである。それゆえ、この議決は議事定数および議決定数を欠いたままなされたもので、不成立または無効のものである。したがつて、右審査会の報告は適法有効な審査会の議決に基づかずしてなされたもので法的効力を有しないものであり、このような報告に基づいてなされた本件不許可処分は不成立または無効のものであるか、また少なくとも違法の処分として取り消されるべきものである。

(三)、本件不許可決定が実体上の見地からみても瑕疵を有するものであることについて、次のように補足する。

1.本件特許発明の内容は、これと同一出願人の発明にかかる先行の特許第一五〇、五九〇号の発明「原油の製油方法」と対比すれば明らかとなる。すなわち、右先行特許の方法は、原油に対し〇・一ないし五%の苛性アルカリを一〇ないし二〇%濃度の水溶液として加え、摂氏九〇度ないし一四〇度に加熱保持しつつ生水蒸気を直接導入し、揮発油分を溜出せしめると同時に釜残油の性質を改良することを特徴とする原油の製油方法にかかるもので、原油から容易かつ安全に製油しまたは硫黄含有量の少ない揮発油を容易に製造しうるようにしたものであるが、この方法では、摂氏九〇度ないし一四〇度の加熱下において苛性アルカリ処理を行なうことにしている。

2.ところが、原油蒸溜装置における蒸気生成部は、右の温度よりも高温である。そして、含硫黄劣質原油の場合、例えば摂氏一五〇度ないし二五〇度においては、加熱に際し悪臭のある刺戟性の分解生成物ができるため、普通の蒸溜が不可能である。また、劣質原油の場合蒸溜中に酸を発生する油温は、それぞれの原油で異なつている。例えば、メキシコ原油についてみるに油温摂氏一四〇度では、まだ刺戟性の酸を多量に生成しないが、摂氏一四〇度を超えるとこの酸発生量が急速に増大し、摂氏一八〇度ないし二五〇度の間において多量の悪臭の刺戟性酸が発生し、これを超えるといつたん酸発生量が減少し、さらに高温度において再び多量の酸が発生する。右の点に本件特許発明の発明者は着目し、先行特許の方法では取り扱われていなかつた右の状態に則応し、実験室において、メキシコ原油を用い常圧単独蒸溜によつて、側管から毛細管を通じて蒸気発生部分にアンモニア水を投入量を調節しながら添加し、冷却器出口において微アンモニア臭を有する程度にして蒸溜を行ない、全く刺戟臭も悪臭も発生することなくして蒸溜を行なうことができた。もつとも、硫黄含有量のきわめて多い原油の場合には、多少の悪臭を残すが、ともかく、従来実験室では蒸溜不可能といつてもよいほどの悪臭刺戟臭の発生があつたものが、普通蒸溜の場合の程度で蒸溜することができ、揮発油・灯油・軽油等を分溜しえたのである。

3.本件特許発明は、前記のような研究実験によつて完成したものであつて、劣質原油を単独または連続に蒸溜するに際して、原油の種類に応じて、蒸溜中特にその生成蒸気部(蒸気生成部)に、安価で入手しやすいアンモニアガス・アンモニア水あるいはその分解によつて容易にアンモニアガスを発生する物質の適当量またはその水溶液を刻々に加えて蒸溜を行なうことを特徴とする劣質原油の蒸溜方法である。そして、右にいう生成蒸気部とは連続蒸溜の場合には、熱交換器で相当の加熱が行なわれ酸の発生がすでに始まつている場合には、熱交換器の部分を指し、然らざる場合には、管状加熱炉の出口附近または蒸溜塔底部もしくは精溜塔底部を指しているのである。

右の場合、生成蒸気部においては、原油は加熱され蒸気の生成がなされるとともに、原油に含有されている含窒素・含硫黄等の不安定物質が分解して、悪臭ある刺戟性の分解生成物(酸類)を生ずるのであるが、その分解生成物は、その生成の過程中、ないしはその生成後直ちに、そのおかれた高温度下において、そこに添加されたアンモニアと化合して強酸を中和し、また重合物となつて原油中から分離する。かくして、普通の蒸溜ならば溜出油(揮発油・灯油・軽油等)に入るべき硫黄化合物を重油のような釜残油の中にもちこみ、あるいは、普通の蒸溜では樹脂質となり、さらに化学精製を行なわねばならないような物質を不揮発性のものに変えて重油中に入れてしまう作用が行なわれるのであり、このようにして酸ないし悪臭刺戟性物質を取り除いて白油蒸溜が行なわれるのである。すなわち、劣質原油の場合、本件特許発明の方法によつてはじめて、悪臭の発生になやまされることなく蒸溜が行なわれ、良質の製品を容易にかつ安価に得ることができるとともに、蒸溜装置の腐蝕を防止するという効果を同時におさめることができたのである。

4.本件不許可決定は、本件特許発明をその明細明の特許請求の範囲に記載されたところによつて認定してはいるが、これに続いて、本件特許発明は「原油の加熱により生成した酸をアンモニアにて中和し、酸による蒸溜塔の腐蝕を防止すると同時に製品の品質を向上せしめることを目的としたものである」としている。右決定において「原油の加熱によつて生成した酸」といつているのは、むしろ前記先行特許第一五〇、五九〇号の製油方法における釜残油に相当するものと認めるべきであつて、本件特許発明における重要な構成要件である「生成蒸気部(蒸気生成部)にアンモニアを添加する」という点、したがつてまた、この高温の蒸気生成部において不安定物質が分解して悪臭のある刺戟性物質を生成するその過程においてこれを捕促し、これをアンモニアと化合させて悪臭刺戟臭の発生を防止するとともに良質の製品を容易かつ安価に得させるという効果のあることについて、本件決定はこれを正確に把握していないものといわねばならない。本件決定において製品の品質向上といつているのも、要するに単に酸による蒸溜塔の腐蝕を防止することに基因する製品の品質の向上を意味するにすぎないと解される。

本件決定は、右に述べたように本件特許発明の技術内容を正しく理解せず、単に蒸溜塔内等にアンモニアを導入して既に生成した酸を中和する方法であるかの如くに認定し、この誤つた認定に基いて、引用の文献の記載と対比しているのである。

5.本件決定が引用した文献に記載されている「腐蝕防止におけるアンモニアの使用」の記事によれば、フラツシユポイント上のバブルタワーの中にアンモニアを導入するとしているが、この部分の温度は重油分溜温度以下であるため、原油中の不安定物質から生成された酸が水溶液として既に存在しており、原油中に含有されている硫黄化合物等の不純物質の蒸気生成は行なわれていない。したがつて、この生成酸に導入されたアンモニアは水溶液として酸の水溶液に作用するが、単にこれを中和するだけで、それ以外の作用は認められない(なお、被控訴人は前記文献に記載されている「フラツシユ・ポイント」が精溜塔または蒸発塔の底部に設けられたものであるかのように主張しているが、フラツシユ・ポイントの位置は精溜塔や蒸発塔の設計如何によりきめられるものであつて、必ずしもこれらの塔の底部に設けられるとはかぎらない。)。要するに、本件特許発明は、重油分溜温度以上の場所において、不安定物質(蒸気状態)に対してアンモニアをガス状態で作用させて重合安定物質を生成させる方法であるのに対して、引用文献記載の方法は、重油分溜温度以下の低温において、生成酸溶液に対しアンモニアを水溶液の状態において作用させて中和物を作る方法である。本件決定は、技術内容において全く異なる右の両者を同一発明と誤認し、この誤つた認定に基いて本件特許発明が重要な発明でないと判断しているのであつて、その判断は誤つた事実認定に基いてなされたものというほかはない。

6.以上述べたように、本件特許発明は新規な工業的発明に該当することは明らかである。そうだとすれば、被控訴人としては、本件特許発明につきそれが新規性をそなえた発明であることを前提として、さらに旧特許法施行令第一条所定の要件について審査したうえ、国の産業行政・特許行政の見地から存続期間延長出願の許否を決すべきであつたのにかかわらず、これらの点について何ら判断を加えることなく直ちに不許可の決定をしたのであつて、かくの如きは社会観念上も著しく妥当を欠くものであり、よしんば前記期間延長出願に対する許否の決定が自由裁量処分であるとしても、裁量権の踰越ないしは濫用に該当し、違法の処分であるといわねばならない。

二、被控訴人で当審で追加した主張

(一)、訴えの利益について

本件は、昭和三三年一月三〇日をもつて存続期間の満了する特許権についての延長願不許可処分の取消しを求める訴えであるが、かかる訴えの利益が肯認されるためには、原処分の取消しによつて特許権の延長が認められる可能性がある場合でなければならない。しかるに、特許権の延長が認められるのは、存続期間の満了後最長一〇年までであるから、存続期間の満了の時から一〇年を経過した後は、不許可処分取消しの訴えの利益を認めるに由ないのである。本件についていえば、特許権存続期間の満了日から一〇年後である昭和四三年一月三〇日を経過した後は、特許権の延長が認められることはありえないのであるから、同日の経過後は、延長願不許可処分の取消しを求める訴えの利益は消滅したものというべきである。

なお、控訴人は、本件において、すでに特許権存続期間満了日から一〇年を経過しているにしても、主張のような被控訴人の判断を得なければ、いうところの国家賠償の請求をなし得ないとの見解に立つて、本訴における訴の利益の存在を主張しているが、そのいう国家賠償の請求のために、その主張のような被控訴人の判断を経る必要はないのであつて、控訴人の右主張は理由がなく、本訴は訴えの利益が消滅したこと前記のとおりである。

(二)、控訴人の(二)の主張について

特許補償等審査会の委員は二〇名であつて、本件の特許権期間延長出願の審査に当つては、七名の委員本人と八名の委員の代理人が出席し、合計一五名の出席者で会議を開き議決をした。その出席者の氏名および役職は次のとおりである。

会長     井上尚一  (特許庁長官)

委員     堀越禎三  (経済団体連合会事務局長)

(代理) 菅元彦   (同会事務局調査部員)

難波捷吾  (国際電信電話株式会社取締役)

岡松成太郎 (日本商工会議所専務理事)

(代理) 岡部仙太郎 (同 商工技術部長)

久保敬二郎 (特許庁顧問)

三輪大作  (科学技術庁調査普及局長)

(代理) 水田悦夫  (同庁同局発明奨励課長)

松尾金蔵  (通商産業省企業局長)

(代理) 畑谷宏一  (同省同局産業資金課外資班技術審査係長)

森誓夫   (同省軽工業局長)

(代理) 浜岡平一  (同省同局軽工業課通商産業事務官)

岩武照彦  (同省重工業局長)

(代理) 佐々木寿康 (同省同局重工業課通商産業技官)

山本茂   (特許庁審査第二部長)

斉藤二郎  (同  審査第三部長)

藤崎春雄  (同  審査第四部長)

吉藤幸朔  (同  審判  部長)

畠山一清  (社団法人発明協会会長)

(代理) 木村正彦  (同会常務理事)

臨時委員   福井政男  (通商産業省鉱山局長)

(代理) 大慈弥嘉久 (同省同局石油課長)

控訴人は本件出願についての審査会の会議が委員七名のみの出席のもとになされたと主張しており、これは審査会の会議において委員の代理が許されないという前提に立つもののようである。しかし、右、審査会の構成員は大部分が官庁関係者であり、その他に産業界代表および学識経験者が若干名加わつている。そして、審査会の設置目的が通商業大臣の処分の適正を期するためのものであることに鑑み、審査会の審査には関係官庁・産業団体等の意見が反映されればよいのであつて、委員本人以外の者が委員を代理して意見を述べ議決に加わることを禁ずるものではない。したがつて、正当な委任を受けた八名の者がそれぞれの委員を代理して前記審査会の会議に出席し議決に参加したことをもつて不適法とすべき理由はなく、本件不許可処分には何ら控訴人主張のような手続上の瑕疵は存しないのである。

(三)、控訴人の(三)主張について

1および2の点については争わない。3以下については被控訴人の第一審における主張および次に述べるところに反する点はすべて争う。

原油を連続的に蒸溜する場合、蒸発塔と精溜塔を併用する方法・蒸発塔を省略して精溜塔のみを用いる方法等種々の方法があるが、本件特許発明の明細書には蒸発塔と精溜塔を併用して蒸溜を行なうものとして、アンモニアを添加すべき場所について、熱交換器で相当の加熱が行なわれ酸の発生がすでに始まついてる場合にはこの部分にアンモニアを添加すべきであるが、連続蒸溜でも、熱交換器で酸の発生が始まらない場合には、管状加熱炉の出口附近または蒸発塔底部もしくは精溜塔底部に、アンモニアガスとして、またはアンモニア水として或は炭酸アンモン水溶液として、原油の使用量に応じて常に一定の量ずつ添加する旨記載されている。

一方、本件決定引用の刑行物に図示されている蒸溜塔は、図面が簡略化されているため、蒸発塔に相当するのか精溜塔に相当するのかやや明確を欠くが、説明文中に「バブルタワー」・「バブルトレイ」等の用語の存することからみて、精溜塔に相当するものと考えられる。

そこで、右刑行物記載の方法と本件特許明細書に記載されている方法とを比較すると、右刊行物に記載されているアンモニアの一導入点であるフラツシユポイントの上部というのは、本件特許発明における連続蒸溜の場合のアンモニア導入点の一つとして示されている精溜塔底部というのと全く一致しているものと考えられる。仮りに右の点について異なる解釈がありうるとしても、本件特許明細書の「特許請求の範囲」においては「生成蒸気部」にアンモニアを加える旨記載されており、精溜塔のフラツシユポイントから上部には生成した蒸気が存在しているはずであるから、前記刊行物記載のアンモニア導入点と本件特許発明におけるそれとは一致するものということができる。

また、仮りに前記刊行物に図示されている塔が蒸発塔であるとしても、この場合にも、バブルトレイ等を設置することがあり、この場合のアンモニア導入点も本件特許明細書にアンモニアを導入する場所として記載されているところと同じであるから、いずれにしてもアンモニアを導入する箇所についき本件特許明細書に記載されているところと前記刊行物に示されているところとで格別相違はないわけである。

三、証拠関係〈省略〉

理由

一、控訴人が本件特許すなわち特許第一五九、〇五二号「劣質原油の蒸溜方法」(昭和一八年九月二一日登録)の特許権者であつたこと、この特許権は出願公告の日である昭和一八年一月三〇日から一五年の存続期間の満了によつて昭和三三年一月三〇日終了することになつていたところ、控訴人が右期間満了前である昭和三二年七月一九日附で被控訴人に対し存続期間延長の出願をしたこと、これに対し被控訴人が昭和三三年一月二九日右出願を許可しない旨の決定をしたこと、その理由が原判決の事実摘示(請求原因第一項)に記載されているとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

二、本件訴えの利益について

1.行政処分の取消しの訴えは、当該処分の取消しによつて回復すべき法律上の利益があり、したがつて、処分の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する場合に限り提起することができるのであつて、このような利益を欠くとき、訴えが不適法であるのはいうまでもない。本訴において、被控訴人がした前記特許権存続期間延長願不許可の決定の取消しを求めるについては、同決定の取消しにより、控訴人が、同決定によつて毀損せられた法律上の利益を回復しうる場合でなければならず、この法律上の利益としては、被控訴人に対しあらためて特許権存続期間延長の許否について適正な判断を求め、よつて期間延長を許可する処分を期待しうるにいたるというにある(原決定の取消しによつて、控訴人は特許権などの具体的な権利を直ちに取得するにいたるものではなく、このような権利は、被控訴人の期間延長許可処分がなされてはじめて生じるものであるから、本訴により原決定の取消しを得ても、そのことだけで控訴人は直ちに右のような意味における何らかの法律上の利益の回復を得るということはない。)。

したがつて、被控訴人において、もはや控訴人の期間延長願につきこれを許可する処分を法律上なしえないような何らかの事情が発生した後は、訴えにより原決定の取消しを求める法律上の利益も消滅するといわざるをえない。

2.被控訴人は、本件特許権の存続期間満了の日から一〇年を経過した昭和四三年一月三〇日の後は、特許権の延長が認められることはありえないから、同日の経過により原決定の取消しを求める本訴の利益は消滅したと主張する。

前記旧特許法第四三条第五号は、特許権の存続期間は政令の定めるところにより三年以上一〇年以下これを延長することを得る旨規定している。このように、延長すべき期間の長期を一〇年と限定したのは、もともと特許権の存続期間は、新規な技術を独占的に使用しうる特許権者と、この独占権をもつて対抗せられてその新技術の利用を制限される第三者との間の、対立する利害の調和点として出願公告の日から一五年と定められているのに(同条第一項)、あえてその例外を定める存続期間の延長が、第三者―ひいて産業界―に及ぼす影響のすくなくないことを考慮して、行政庁の裁量に対し、延長しうべき期間について枠を定め、すべての延長許可の処分についての最終の終期を限定しようとしたものであつて、すなわち延長期間の長期を一〇年と制限した、その一〇年は延長を許可する処分の時から一〇年の意味ではなく、本来の存続期間満了の時から一〇年の意味であり、換言すれば当該特許の出願公告の日から二五年をもつてその特許権の存続を最終的に廃止し、それ以後は当該発明にかかる技術を社会に開放させる趣旨に出たものというべきである。

旧特許法施行令第二条によれば、存続期間の延長を出願する者は、存続期間満了の日前六月ないし一年内に願書を通商産業大臣に差し出すべきものとされており、これによれば、存続期間満了までの間に期間延長の許否の処分を了し、許可の場合は、期間の満了と同時に延長された期間に引き続き移行しうるように配慮されているものということができる。しかし、手続の遅延などの理由により、延長許可の処分が本来の特許権存続期間満了後になつてなされる場合もないではなかろうが(しかも右の施行令の規定する願書差出し期間から考えても、延長許否の処分がなされるのは、存続期間満了が相当近づいてのこととみられるところ―このことは、本来処分時の事情をしんしやくしてなさるべきである行政処分の性質からすれば、この許否処分として必らずしも不当のこととはいえない。―、この不許可処分がなされた場合に、これに対し行政訴訟による取消しが認められている現在の制度のもとで、訴訟によつて不許可処分が取り消されて、改めて許可処分がなされるような場合には施行令が一おう推測させる立法者の前記の配慮は実態に適切とはいい難く、この点に問題の根源の一つがあることは争えない。)、この場合においても、延長された存続期間の終期が、出願公告の日から二五年経過後になるような延長は許されないと解すべきである。本件についていえば、特許権存続期間の満了の日である昭和三三年一月三〇日から一〇年後の昭和四三年一月三〇日を経過したのちは、本件特許にかかる発明は社会に開放すべく、同日の後にまでわたる存続期間の延長は法律上許されないのである。したがつて、同日の経過後においては、同日以前に終了するような期間を延長期間として遡及的に許可する処分が可能でないかぎり、もはや延長許可願いに対しこれを許可する処分はなしえないことになる。

3.そこで、特許権存続期間を過去の時点に遡及して許可するような行政処分をなしうるかどうかを検討する。

特許権のように当該権利者のほか広く第三者の利害関係に及ぼす影響の大きい権利について、その発生・変更・消滅をきたす政行処分は、本来、処分の時から将来に向つての権利の発生・変更・消滅の効力をもつのを原則とし、遡つて過去の権利関係の変動を生ぜしめるような処分は、法が特に明文の規定によつてこれを定めており、あるいは法の解釈上その趣旨が汲みとれるような場合以外にはなし得ないと解すべきである(例えば処分がなされた場合における既往の善意の関係第三者の保護に関する規定の存在などは―この種の規定は、とくに権利発生にかかる遡及的行政処分について、その必要がある。―それ自体法の右の趣旨を窺わせるものというべきであり、逆にかような規定が設けられていないことは、当該処分を法がいわゆる遡及的な処分としていないことを推知させる一つの資料というべきであろう。)。

このことは、当該権利関係に基いてすでに社会に形成されている法律状態を後にいたつて覆えすような行政処分の幣害の大きいことを考えれば、容易に理解しうるところである。特許を無効にすべき旨の審判により特許権が初めから存在しなかつたものとみなされたり(旧特許法第五八条第一項本文)、あるいは特許を無効とした審決が再審により取り消されたときは特許権が「回復」するものとしたうえ、前記のような善意の第三者の保護に関する規定(同法第一二五条および第一二六条)を設け、もつて特許権が初めに遡つて原状に復する―初めに遡つて発生する―趣旨を示しているというような例は、右の例外的な場合にあたる。

特許権の存続期間延長の処分については、右の例と異なり、その許否は行政庁の自由裁量に委ねられており(その裁量権行使の適正のため、旧特許法施行令第一条にその基準を定め、かつその第三条で特許補償等審査会の審査報告を徴することにしているにすぎない。)、遡つて期間延長を許可しうる旨の規定もなく、また―この許可処分はいわゆる権利の発生にかかるものであるのに―遡及的延長許可処分の結果損害をこうむる善意の第三者の保護の規定も設けられていない。これによつてみれば、特許権存続期間の延長許可の処分は、前記の原則どおりに過去の時点に遡つて特許権の変動を生ぜしめるような効力をもつものとしては、これをなし得ないものと解するほかはない(特許権の存続期間が満了したのちに、当該特許権の存続期間延長許可処分をなしうるかどうかは、また別の問題である。延長許可願が適法な時期に提出されたのに、手続の遅延などの間に特許権の存続期間が満了すれば、もはや延長許可の処分をなしえなくなるとするのは不当であろう。この場合も、処分の時以降行政庁が相当と認める期間―但し、その終期が出願公告の日から二五年経過後に及んではならないこと前記のとおり―特許権を存続せしめる効力をもつ延長許可処分をなし得るものと解すべきである。なおここに付言するに、以上のように考えると右のような場合には特許権の存続に断絶を生じることは避けられないところであり、かような結果は存続期間の「延長」という観念にそぐわないとの非難を免れないであろう。しかし、「延長」という用語の故に、存続期間満了後になされる延長許可処分が右満了時に遡つて特許権存在の効力を生じるものと解することは、前記のように善意者の保護その他これに関連する規定を欠く法制のもとにおいて権利関係の混乱を招くにいたることは避けられず、いたずらに用語の形式にとらわれた解釈であるとの非難をまた免れないであろう。右のような手続の遅延等のない通常の場合を想定して立法者が「延長」と表現したことに、さほど重要な意味があるとは思えないのであつて、特許権の存続に断絶を生じることのため延長という観念にそぐわないものがあるとしても、理論上やむをえないというべきであろう。)

以上のとおり、本件特許権について存続期間延長を許可する処分は、昭和四三年一月三〇日を経過したのちはなし得なくなつたのである(この結論については、控訴人も同様の見解を示している。)。

4.控訴人は、被控訴人としては、なお本件延長許可願について許可すべきであつたか否か、許可すべきであつたとすれば延長の期間は何年とすべきであつたか、という点の判断(裁定)をなし得るのであり、控訴人はこの判断を受ける前提として原処分の取消しを求める法律上の利益があると主張する。

しかしながら、被控訴人に対してこのような過去の法律関係についての判断(裁定)を求めうる根拠はなく、したがつて控訴人の求めに応じて被控訴人が右の点につき何らかの判断を示すことへの期待は、法律上の保護に値いする利益とはいいがたい。控訴人の言及する国家賠償請求権の行使は、このような被控訴人の判断(裁定)の有無により何ら影響されるところはないのである。

以上説明したとおり、控訴人は本件期間延長願不許可決定の取消しを得たとしても、もはやそれにより回復される法律上の利益を有しないのであるから、本訴は訴えの利益を欠き、不適法としてこれを却下すべきものである。

三、本件訴えは不適法であるから、その実体について判断の要はないのであるが、本訴が不適法となつた事情ならびに本件弁論の経過にかんがみ、一応当裁判所の実体に関する見解を示すと、つぎのとおりである。

(一)  控訴人主張の手続上の瑕疵の有無について

旧特許法第四三条第五項所定の特許権存続期間の延長については、同法施行令第二条以下において右延長出願およびこれに対する決定に関する手続的事項について規定しており、これによれば、右出願があつたときは通商産業大臣は特許補償等審査会をしてこれを審査せしめることとし、同審査会から審査についての報告書が提出された後通商産業大臣において出願の許否を決定すべきものとされている。

そして、成立に争いのない甲第二一号証の四の記載および弁論の全趣旨によれば、本件出願について被控訴人から審査を命ぜられた特許補償等審査会は、昭和三三年一月二〇日関係委員二〇名のうち委員本人七名および委員代理者八名が出席のうえ会議を開いて審議した結果、本件特許発明は(旧)特許法施行令第一条所定の要件を充たさないものと認め、その旨の報告書を通商産業大臣に提出したこと、右審査会の会議に出席した委員本人、委員代理者および同代理者を出席せしめた委員の氏名および役職が被控訴人主張のとおりであつたことが認められる。

ところで、控訴人は右審査会の会議は、その構成上不適法なものであり、そこでなされた審議に基く報告は法的効力がない旨主張するので、この点について考察する。右審査会の構成員は、前記認定の出席すべき委員の肩書役職名からも明らかなように、関係官庁の各部局の長のほかは、関係の産業団体の役員および学職経験者から成つていることが認められ、そして代理者が出席したのはいずれもこのような関係官庁および団体の、各委員の下にあつて所管事務を担当していたと認められる者であり、したがつて前記審査会の会議においては、代理者を出席せしめた委員ないしは当該各官庁の関係部局および当該各団体の意見は、代理者によつて充分に反映されているものとみることができる。

もちろん、右審査会の会議に委員の代理者が出席しうべき場合につき特に規定ないし議決等のあつたことを認めるに足る資料はなく、この点についての配慮が足りなかつたとの批判はありうるかもしれない。しかし、もともと、旧特許法施行令において特許権存続期間の延長出願について通商産業大臣がその許否を決するにあたり、前もつて審査会をして審議をなさしめその報告を徴すべきものとした趣旨は、ことがらの性質上当該特許権をどのように評価すべきか、また期間延長の許可が他に及ぼす影響いかん等について慎重な検討考慮が必要とされることに基くのであつて、関係各官庁の部局および民間の各種団体等を代表する者を委員としているのは、これら委員個人の見解をただすこともさることながら、それよりもむしろ、これら各部局および団体としての統一的見解を充分に反映させようとすることに重点がおかれているものということができる。そうだとすれば、右の各官庁部局および団体を代表する委員が差支えのためみずから会議に出席することができないような場合に代理者を出席させることは、実質的にみて、なんら法の趣旨に反するところはないものというべきである。

してみれば、前記認定のような委員および委員代理者の出席のもとに開かれた審査会の会議・その審議の結果なされた報告が控訴人主張のように全く法的効力を欠くものというのは妥当でなく、右報告に基いてなされた本件決定が手続上無効ないしは違法とすべき瑕疵を帯びたものであるとする控訴人の主張は、これを採用することができない。

(二)  控訴人主張の実体上の瑕疵の有無について

(1)  本件決定の理由

前記の当事者間に争いのない事実によれば、本件不許可決定は、本件特許発明がその特許出願前国内に頒布されていた雑誌等に容易に実施しうべき程度に記載され、出願当時すでに公知のものに属し、(旧)特許法第一条所定の新規な発明に該当しなかつたのにかかわらず、誤つて特許されたものであつて、(旧)特許法施行令第一条にいう重要なる発明に該当するものとは認められないというにあり、なお前記国内頒布雑誌等の一例として

A Gulf Publishing Company Publication

Refiner and Natural Gasoline Manufacturer

第一四巻第八号(一九三五年八月号)第三九五頁を引いているのである。

(2)  旧特許法第四三条第五項および旧特許法施行令第一条の趣旨

旧特許法第四三条第五項は、特許権の存続期間は政令の定めるところにより三年以上一〇年以下これを延長することをうる旨規定し、旧特許法施行令第一条は、重要なる発明の特許権者が、正当の事由によりその特許権の存続期間内にその発明より生ずべき相当の利益を得ることができなかつた場合に右存続期間の延長を出願することができる旨規定していたのである。

おもうに、旧特許法は新規なる工業的発明を特許出願手続によつて公開した者に対し特許権なる排他権を付与することとし、その権利の存続期間を一律に出願公告の日より一五年と定めたのであるが、公開された当該発明が技術水準の向上・産業の発展等に貢献する度合、あるいはその利用の度合は一様でないので、これを一律に規定したままにしておくと、時に実質上公平を失する場合が生じうることを考慮し、前記一定期間の範囲内で、出願によりその存続期間を延長することを認めるとともに、右出願に対する許否の判断が恣意に流れることを防ぐため、前記施行令第一条の規定を設けて右出願を許容しうべき場合の基準を定めたものと解される。

したがつて、右旧施行令第一条にいう重要なる発明とは、技術水準の向上・産業の発展ひいては国民経済の向上等に貢献することの大きい発明を指称するものと解すべきであり、例えば技術的にみて画期的な発明とか、それほどではなくても、その発明の効果が従来の技術水準のものに比し著大で産業・経済に寄与することがきわめて大きい発明とかいつたようなものを想定しているものと考えられる。

もちろん、特許権の存続期間の延長は、本来認められた期間をこえて引き続き当該特許権者に排他権を保持させることになる結果、他の者に及ぼす影響が少なくないのであつて、その許否はこれを慎重に決すべきものであることはいうまでもない。しかし、旧特許法施行令第一条の規定自体きわめて抽象的な基準を定めたものにすぎず、ことは単に技術的見地のみならず産業・経済の広い視野に立つての判断を要するものであつて、通商産業大臣としては前記の法の趣旨に反しないかぎり、その自由裁量により出願の許否を決し、また法定の枠内でどの程度に延長を許すべきかを定めうるものと解すべきである。ただ、右許否の決定が、客観的にみて明らかに前記の法の趣旨に反すると認められるような場合には、その決定は裁量の範囲を逸脱したものとして違法な処分であり、取り消されるべきものといわねばならない。

(3)  本件決定は裁量の範囲を逸脱したものであるか。

本件不許可決定は、前記のように本件特許発明がその特許出願の時期においてすでに新規性を欠いていたものであると認定し、このことを理由として右発明が旧施行令にいう重要なる発明に該当しないとしたものであるが、控訴人は、右決定は本件特許発明の特許要件の存否に関する認定を誤まり、その誤つた認定を基礎として期間延長出願の許否を決したものであるから、正当に裁量権を行使したものとはいえず、裁量の範囲を逸脱したものにほかならないと主張しているのである。

ところで、出願当時新規性または進歩性を欠き特許要件を具備しなかつたような発明は、たとえ誤つて特許され、また法定の除斥期間内に無効審判の請求がなされることなくして経過したため、その特許が有効なものとして通用してきたとしても、そのような発明は産業の発展に寄与するような技術を公開したものとはいえず、その意味で、前記のような産業経済等の視野に立つての通商産業大臣の裁量を働かすまでもなく、その前提において重要な発明に該当しないことは明らかである。しかし、ほんらい特許要件を具備した発明であるのにその点についての認定を誤り、特許要件がないとの認識に立ち、そこから前記のような観点に立つての裁量を施こすまでもなく重要な発明に該当しないとして延長を拒否する処分がなされたとすれば、右の処分は自由裁量を働かせるべき前提事実の認定を誤つたものであり、結局、当該行政庁に委ねられた裁量権の行使を誤つた違法性を帯びるというべきである。この点で、控訴人の主張じたい失当であるとした原審の見解には賛成できない。そこで、以下本件特許発明が、本件決定のいうように当初から特許要件を具えていなかつたものであるかどうかについて考察する。

成立に争いのない乙第一号証(本件特許発明の明細書)の記載によれば、次のように認めることができる。すなわち硫黄含有量の多い劣質原油は加熱に際して悪臭のある刺戟性の分解生成物を生成するため、従来普通の蒸溜方法では蒸溜が不可能とされていたが、右の刺戟性悪臭物質はほとんど全部が酸性の物質である(この酸性物質を発生する油温は劣質原油の種類によつて異なる―この点については、明細書中に、控訴人の当審における主張とほぼ同趣旨の記載がある)。この酸性物質は容易に鉄器を侵し装置を腐蝕させる。本件特許発明は、劣質原油の蒸溜に際し、原油中の不安定物質が分解して生成する酸類が、その生成と同時にアンモニアと化合し強酸が中和されるようにし、もつて蒸溜装置の腐蝕を防止し、また悪臭刺戟臭の発生を防止し、同時に良質の製品を容易にかつ安価に得ることを目的とするものである。

そして、右発明の要旨は、劣質原油を単独蒸溜または連続蒸溜の方法によつて蒸溜するに際し、蒸溜中蒸気生成部に、原油の種類に応じて適当量のアンモニアガス・アンモニア水あるいはその分解によつて容易にアンモニアガスを発生すべき物質またはその水溶液を刻々に加えて蒸溜することを特徴とする劣質原油の蒸溜方法、ということである。(特許請求の範囲には「蒸溜中ソノ生成蒸気部ニ適当量ノ『アンモニヤ』瓦斯……ヲ刻々ニ加エテ……」とあるけれども、「発明ノ性質及目的ノ要領」の項の記載全体の趣旨ことに「(本発明の)目的トスル所ハ劣質原油ノ蒸溜ニ際シ原油中ノ不安定物質ガ分解シテ生成スル酸類が生成スルト同時ニ『アンモニヤ』ト化合シ……」・「……側管ヨリ毛細管ヲ通ジテ蒸気発生部分ニ『アンモニヤ』水ヲ投入量ヲ調節シナガラ添加シ……」等の記載があり、「生成蒸気部」と「蒸気生成部」とが同様の意味を有するものとして用いられていることからみて、特許請求の範囲の項における「生成蒸気部」というのは、蒸気生成部というのと実質的には同じであつて、この部分にアンモニアを添加するというのは、蒸気生成部において蒸気が生成する(原油中の不安定物質が分解して酸性物質が生成される)と直ちに右の生成した蒸気にアンモニアが作用するようにこれを添加するという趣旨であると解される。)

一方、成立に争いのない乙第二号証の一・二および同第四号証および弁論の全趣旨によれば、本件不許可決定中に挙示されている前記刊行物が昭和一〇年九月一〇日日本石油株式会社鶴見製油所に、また同年中に秋田大学(当時秋田鉱山専門学校)に購入され昭和一二年同大学図書館に受け入れられていたことが認められる。そして右刊行物は、特に反証の存しない本件では、前者は右会社の関係職員に、後者は右学校の教授・学生等に、秘密保持の義務を課することなく閲覧を許していたものと認めるのが相当であるから、前記刊行物は本件特許発明の特許出願の日であることが弁論の全趣旨によつて明らかな昭和一五年七月一二日より前に国内に頒布されていたものであるということができる。

そして、乙第二号証の一によれば、右刊行物にはジエー・ダブリユー・スミスによる「腐蝕防止におけるアンモニアの使用「と題する論文が掲載されており、それには「被害を受ける装置の腐蝕は、まず原油と蒸気との熱交換器の低部において起こり、この点より貯蔵部まで続き、この腐蝕の度合は三箇月に一回蒸気パイプを取り換えねばならぬほどはげしいものであつた。そこで、熱交換器の上方にアンモニアを導入することにし、この箇所で蒸気パイプの中へ連結させたのである。アンモニアを蒸気パイプのところで導入してPHを七・〇に保つことによつて、装置のロスは急速に満足すべき状態にまで減少した。しかし、ランダウンタンクにおいてはアンモニアの臭が強く、これはアンモニアが過剰に用いられたことを示すものであつた。そこで、アンモニアの導入点を変更して、フラツシユポイントの上部でバブルタワーの中へアンモニアを導入するようにしたところ、ランダウンタンクのアンモニアの臭は実質上なくなつたといつてよいほどに減少した。バブルトレイのサルテイングによる困難は起きなかつた。」という趣旨の記載があり、これに関して装置の略図が示されていることを認めることができる。

そこで、本件特許発明(前者)と前記刊行物記載の技術内容を対比すると、

(イ) 後者は一般に原油を蒸溜する装置の腐蝕を防止する方法に関するものであり、前者も原油を蒸溜する場合において装置の腐蝕を防止することを一つの目的としており、右の点で両者は共通するものがある。

(ロ) 右共通の目的を達する手段として、前者では、蒸溜中蒸気を生成する箇所において蒸気が生成した直後にその蒸気部分にアンモニア(アンモニアガス・アンモニア水あるいはその分解によつて容易にアンモニアガスを発生すべき物質またはその水溶液)を添加するものである。この点に関して、本件特許発明の明細書には、連続蒸溜の場合について、「連続蒸溜ノ場合ニハ熱交換器ニテ相当ノ加熱ノ行ハレ酸ノ発生己ニ初マル場合ニハコノ部分ニ『アンモニヤ』ヲ添加スルコト必要ナレドモ然ラザル場合ニハ管状加熱炉ノ出口附近又ハ蒸発塔底部又ハ精溜塔底部ニ『アンモニヤ』瓦斯トシテ又ハ『アンモニヤ』水トシテ或ハ炭酸『アンモン』水溶液トシテ原油ノ使用量ニ応ジテ常ニ一定ノ量ヅツ添加スレバ目的ヲ達シ得ルモノナリ」との記載の存することも乙第一号証によつて明らかである。

他方、後者では、バブルタワーの中へフラツシユポイントの上部でアンモニアを導入するようにして前記目的を達することができたというのであり、右にいうバブルタワーとは精溜塔(または蒸発塔)を指し、フラツシユポイントとは、加熱された原油がバブルタワーに導入され蒸気化するところを指すものと解される。このフラツシユポイントの上部というのは、それだけの限定では、フラツシユポイントより上で精溜塔(または蒸発塔)の比較的上の方までを含むことにもなり、やや明確を欠くものということができる。しかしながら、前記刊行物の記載によれば、フラツシユポイントの上部でアンモニアを導入するようにしたところ、バブルトレイのサルテイングによる困難は起きなかつたというのであり、このバブルトレイは上下に幾段にも設置されているもののすべてについていつているものと解されるから、最下段のバブルトレイにおいても塩析(salting)がなかつたことを示しており、このことからして、前掲記述はアンモニアの導入点がバブルトレイより下であつてフラツシユポイントのすぐ上部附近に設けられたものであることを推測することができる(控訴人はフラツシユポイントの位置は精溜塔や蒸発塔の設計次第できめられる旨主張するが、フラツシユポイントの果たすべき機能からみて、これらの塔の比較的下方部に設けられるのが通常であると考えられる。)。また、フラツシユポイントの上部ということ自体からみても、アンモニアがガス状で生成蒸気中の酸性物質と結合するようにすることが示唆されているものということもできる。

さらにまた、一般に、化学反応を促進し、確実に行なわしめるには、通常、温度が高い方がよく、接触時間が長い方がよいことは技術上の常識であるから、精溜塔(または蒸発塔)の下方部にあるフラツシユポイントにできるだけ近いところにアンモニアを導入することが、原油からの生成蒸気とアンモニアとの接触をより高い温度下で行なわしめ、かつ接触の機会をより多くすることになり、反応の効果を高めうることはみやすいところである。

してみれば、アンモニアの導入点について、蒸気生成部というのも、フラツシユポイントの上部というのも、実質的にはたいした変りはなく、少なくとも前記刊行物の記載が存する以上、蒸気生成部に(酸性物質を含む蒸気の発生した直後に)アンモニアをガス状で作用するようにして(蒸気の生成が継続的である以上、アンモニアの添加も当然継続的に)導入することにより、生成蒸気とアンモニアとの反応の効果を高めることができるというようなことは、当業者の容易に想到しうるところというべきである。

ところで、本件特許発明は、主として劣質原油を対象とする蒸溜方法に関するものであり、また単に原油から生成した蒸気中の酸を中和せしめて装置の腐蝕を防止するだけでなく、悪臭・刺戟臭の発生を防止し、良質の製品を容易にかつ安価に得ることをも目的とするものであることは前述のとおりであるが、これに対し、本件不許可決定引用の前記刊行物には、劣質原油の場合や装置の腐蝕防止以外の効果についてはなんら言及していないこと乙第一号証の二の右刊行物の記載によつて明らかである。

そこで、右相違点について考察するに、元来、原油の蒸溜に際し、発生する酸性物質に対し中和剤としてアンモニアを添加し、装置の腐蝕を防止するという技術思想それ自体は、本件特許発明の特許出願前すでに公知の事項であつたのであり(このことは証人住本誠治の証言によつても明らかである)、本件特許発明の主眼点は、前にも述べたように、蒸溜に際し悪臭刺戟臭を生ずる物質はほとんど全部酸性物質であり、劣質原油には特にそれが多く含有されているのであるが、これを確実にアンモニアと結合せしめて除去し前記の目的を簡易に達成する方法として、右のような酸性物質を含む蒸気が発生した直後に、その蒸気中に適当量のアンモニアをガス状で作用するようにして継続的に添加し、強酸をアンモニアと結合し反応せしめるようにした点に存するのである。

ところが、前記刊行物には、装置の腐蝕防止の方法としてではあるけれども、蒸気生成部というのと実質上たいして変りのないバブルタワー中フラツシユポイントの上部にアンモニアを導入することによつて効果的に反応を行なわしめ腐蝕防止の効果を良好ならしめうる旨の記載が存し、少なくともこの刊行物の記載から、本件特許発明の構成要件とされているアンモニアの導入点・導入の仕方に想到することが当業者にとつて容易なことと認められる以上、右の方法を劣質原油を含め種々の原油に適用し、アンモニアの添加量をそれぞれの原油の種類に応じて加減しその適当量を見出すことは、それほど困難なことではないと考えられる。

そしてまた、生成蒸気中の酸性物質とアンモニアとが結合し反応すれば、いわゆる不安定物質が除去され悪臭刺戟臭が出なくなるという効果は、装置の腐蝕防止の効果と同時に当然に生ずるものなのであつて、予測することの困難な効果とは考えられないし、腐蝕防止の効果と同じく容易に認識しうる効果でもあるといえる。したがつて、本件特許発明が、その特許出願当時の技術水準からみて、前記刊行物の記載から当業者の考え及ばないような顕著な効果を生ずるものと認めることも妥当でない。

してみれば、結局本件特許発明は、その特許出願前に前記刊行物が国内に頒布されていた以上、その記載から当業者が容易に到達しうべき程度のものであつて、旧特許法第一条所定の特許要件を具備しなかつたものと認めるのが相当である。控訴人は、本件特許発明が特許要件を具備していたことを原決定が否定したのは不当であるとして種々主張しているけれども、前記説示の理由により、その主張は採用することができない。

右の次第で、本件特許発明は、元来特許要件を具備していなかつたものと認めるのが相当である以上、前に説示した理由により、その点だけで、すでに旧特許法施行令第一条にいう重要なる発明に該当しないものといわねばならない。

(4)  以上説明のとおりであつて、本件決定が本件特許発明を旧特許法施行令第一条にいう重要なる発明に該当しないものと認め、本件特許権の期間延長出願を不許可としたことを違法とする控訴人の主張は採用することができない。

四、さきに説示した理由により、本件の訴えは不適法であるから、行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 古原勇雄 杉山克彦 楠賢二)

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